My Favorite F-1 DRIVER 10選
※・・・現役ドライバーのデータは、2006年シーズン終了時のもの。
アイルトン・セナ
今も昔もF1と言えばセナをイメージする。
最速の記憶と記録を残し、その生涯を全速力で駆け抜け、天に召された史上稀に見る天才。
プロストやマンセル、ピケやベルガーなど強力なライバルと共に一時代を築いた。
ストイックなまでの勝利への欲求と、完璧なまでのドライビングスキル。
また、危険なドライバーとレッテルを貼られ、苦しい時期もあった。
91年鈴鹿のテレビ中継しかリアルタイムでセナを見れなかったのが非常に残念。
セナのレースは、名勝負と語り継がれるものが多く、特にキャリア終盤は光った。
選考が困難なセナのベストレースだが、恐らく・・・93年ヨーロッパGP。
もしも・・・あの日の事件がなければ、セナの記録は現状に留まらなかったであろう。
プロストも「私の記録を抜いたのはセナだったに違いない」と語っている。
もう少し、次代を担うシューマッハやハッキネンらとの極限バトルを見たかった。
対プロスト同様ハイレベルなバトルが展開されたに違いない。
| 国籍 | ブラジル |
生誕日 | 1960年3月21日 |
出走回数 | 161 |
ワールドチャンピオン獲得回数 | 3 |
優勝回数 | 41 |
ポールポジション獲得回数 | 65 |
ファステストラップ獲得回数 | 19 |
通算獲得点数 | 614 |
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ミカ・ハッキネン
98年・99年王者のフィンランド人ドライバー。
F1デビュー当初から速さを見せ、93年ポルトガルGP予選ではエース・セナのタイムを上回る程。
その後マクラーレンのエースとなるが、チームは低迷。95年のクラッシュで生死をさまよう。
しかしその後は才能が開花し、F3時代からのライバル・シューマッハと共に2強時代を築く。
型にはまると異次元の速さを度々披露したが、雨のレースには弱かった。
ベストレースは00年ベルギーが最有力。マシン1台を挟み豪快にシューマッハをかわして優勝。
そのシーンは歴史的オーバーテイクと賞賛され、ハッキネンの力量を垣間見るのに十分だ。
結果的に早期引退してしまったのが未だに残念に思う。
シューマッハの最強のライバルは彼だっただけに。
| 国籍 | フィンランド |
生誕日 | 1968年9月28日 |
出走回数 | 161 |
ワールドチャンピオン獲得回数 | 2 |
優勝回数 | 20 |
ポールポジション獲得回数 | 26 |
ファステストラップ獲得回数 | 25 |
通算獲得点数 | 420 |
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ゲルハルト・ベルガー
いたずら好きで陽気なキャラで誰からも好かれた好漢。
フェラーリを出て、再びフェラーリに戻ってきたドライバーは彼だけである。
セナとは大の仲良しで、いたずらの数々を彼に施した。
それだけに94年早春に起こった親友の死は相当辛かったであろう。
鈴鹿の旧130Rをトップギアで回れるのはベルガーぐらいと言われる程。
それぐらい高速コーナーに滅法強い。
チャンピオンにはなれなかったが、節目のレースで活躍し記憶に残る。
88年にはセナプロ擁する最強マクラーレンの快進撃を止めたモンツァでの歴史的勝利や、
第二期ホンダF-1の最終戦(92年オーストラリア)で優勝した。
ベストレースは97年ドイツGP。彼だけが別世界にいた。
| 国籍 | オーストリア |
生誕日 | 1959年8月27日 |
出走回数 | 210 |
最高シリーズランキング | 3位 |
優勝回数 | 10 |
ポールポジション獲得回数 | 12 |
ファステストラップ獲得回数 | 21 |
通算獲得点数 | 386 |
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ナイジェル・マンセル
長い間「無冠の帝王」と呼ばれ、イギリスを代表するドライバー。
無鉄砲なキャラと熱い走りにファンから絶大の支持を受け「マンちゃん」と呼ばれた。
ちゃん付けで呼ばれるドライバーはマンセルぐらいである。
ハマるとセナ・プロストでも手が付けられない速さを見せるが、時には大ミスを犯す。
そんなマンセルだが、92年には稀代の名車ウィリアムズルノーFW14Bを得て悲願の王座獲得。
その強さ足るや、あまりにも圧倒的だった。天才セナを持ってしても話しにならない。
セナとの名勝負を繰り広げたモナコと各チームが熟成した終盤以外は楽勝状態。
ベストレースは87年のイギリスGP。同僚のピケとのバトルは凄かった。
セナ・プロスト・マンセルが揃い踏みした80年代後半〜90年代前半はF1黄金時代だった。
| 国籍 | イギリス |
生誕日 | 1953年8月8日 |
出走回数 | 187 |
ワールドチャンピオン獲得回数 | 1 |
優勝回数 | 31 |
ポールポジション獲得回数 | 32 |
ファステストラップ獲得回数 | 30 |
通算獲得点数 | 482 |
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ジム・クラーク
60年代のF1を席巻した最速王者。スコットランド出身なので、別名「フライング・スコット」
後年、セナに記録を破られるまで最多ポールポジション数を記録していたのは紛れも無く彼だ。
当時からF1を知る者はクラークこそ史上最速との声が強い。
72戦出走し、33回ポール、優勝25回の効率の良さは凄いものがある。
デビューからロータスに所属し活躍していたが、F2レースの最中に不慮の事故で亡くなった。
ドイツ・ホッケンハイムサーキットの森の中に彼の墓碑がある。
クラークがセナと同時代に生まれていたら、凄まじいことになっていたであろう。
| 国籍 | イギリス |
生誕日 | 1936年3月4日 |
出走回数 | 72 |
ワールドチャンピオン獲得回数 | 2 |
優勝回数 | 25 |
ポールポジション獲得回数 | 33 |
ファステストラップ獲得回数 | 28 |
通算獲得点数 | 274 |
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アラン・プロスト
セナ宿命のライバル。タクティクスや理論に優れ、人は彼をプロフェッサーと呼ぶ。
シューマッハに更新されるまで最多勝記録を保持していた4回のタイトルホルダーでもある。
若い頃は速さを追及していたプロストの転機となったのが、偉大なる先輩二キ・ラウダの存在。
プロストは予選でラウダを上回るが、老獪なラウダの技の前に僅か0.5点差でタイトルを逃す。
その後、速さで負けても勝てるレーススタイルを構築。86年のタイトル獲得もそう。
88年から始まった「セナプロ対決」はF1を世界的にメジャーなものにした格好となる。
最速セナ、最強プロスト。セナあってのプロスト、プロストあってのセナ。
両者共に時代の覇者となれるだけの力量を持つ存在である故に、確執も勃発した。
そんな2人が同居したこの時代は、F1史で見ても非常に稀有かつ濃厚であった。
| 国籍 | フランス |
生誕日 | 1955年2月24日 |
出走回数 | 199 |
ワールドチャンピオン獲得回数 | 4 |
優勝回数 | 51 |
ポールポジション獲得回数 | 33 |
ファステストラップ獲得回数 | 41 |
通算獲得点数 | 798.5 |
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キミ・ライコネン ※
ミカ・ハッキネンの後輩にあたるフィンランド人ドライバー。
速いフィンランド人ドライバーに贈られる愛称「フライング・フィン」はライコネンで3代目。
初代はハッキネンの師匠ケケ・ロズベルグ、2代目はご存知ミカ・ハッキネン。
F1デビューはF3経験なしの超飛び級で果たし、ザウバーからすぐに名門マクラーレンに移籍。
そして今現在の活躍である。まさに恐るべき才能と言わざるを得ない。
私見だが、現役最速はライコネンだと思う。速さの際立ち方がずば抜けているのだ。
でも、その速さを持っても王座獲得はならず。2003年、去年とランキング2位が2回。
そこはF1の厳しさでもあるが、マシンが壊れなければチャンピオンになるのは間違いない。
現時点でのベストレースは2005年鈴鹿で決まり。これ以外にあるだろうか。
2007年からはシューマッハの後継者としてフェラーリへ移籍。
| 国籍 | フィンランド |
生誕日 | 1979年10月17日 |
出走回数 | 105 |
最高シリーズランキング | 2位 |
優勝回数 | 9 |
ポールポジション獲得回数 | 11 |
ファステストラップ獲得回数 | 19 |
通算獲得点数 | 346 |
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ジャック・ビルヌーブ
アメリカのCARTとF1のタイトルを獲得した2冠のカナダ人ドライバーである。
ウィリアムズでF1デビュー。初戦でいきなりポールを獲得し周囲をどよめかせた。
翌97年にはシューマッハとの争いの末にタイトルを獲得する活躍を見せる。
しかし、その後は優勝争いに手が届かない苦闘が続く。
99年から移籍したBARでは走らないマシンに悩まされ3位表彰台がやっと。
03年日本GP前には電撃解雇されたが、04年終盤にルノーで3戦走った。
05年にザウバー移籍。シーズン前半は苦戦したが、結果はそれなりに残している。
そしてBMWで同僚ハイドフェルドと遜色ない成績を残すも、シーズン途中でまさかのチーム離脱。
来季はアメリカのNASCARへ移籍してF1からは離れる模様。
年々、髪の毛が薄くなっているが、日本に来て毛の量が復活しているらしい。
彼の父は伝説のF1ドライバーとして有名なジル・ビルヌーブ。
| 国籍 | カナダ |
生誕日 | 1971年4月9日 |
出走回数 | 165 |
ワールドチャンピオン獲得回数 | 1 |
優勝回数 | 11 |
ポールポジション獲得回数 | 13 |
ファステストラップ獲得回数 | 9 |
通算獲得点数 | 235 |
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リカルド・パトレーゼ
F1最多出場を誇るイタリア人ドライバー。その数は256。
これは彼が引退して10年以上経過しても、未だに破られていない偉大な記録である。
パトレーゼの通算勝利は6勝に留まるが、自身キャリア後半になって活躍した。
90年代のウィリアムズルノーの強さは、パトレーゼの貢献なしでは有り得なかった。
ルックスもよく人気があった。今でも時々モナコGPあたりで顔を見せる。
また、スキーの腕前はプロ級とさえ言われるほどのスポーツ万能型。
趣味の鉄道模型集めが有名だが、現役を引退した今でも集めているのかは謎である。
| 国籍 | イタリア |
生誕日 | 1954年4月17日 |
出走回数 | 256 |
最高シリーズランキング | 2位 |
優勝回数 | 6 |
ポールポジション獲得回数 | 8 |
ファステストラップ獲得回数 | 14 |
通算獲得点数 | 281 |
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佐藤琢磨 ※
異色の経歴を持つ現役日本人ドライバー。
20歳過ぎで自転車レースの世界からモータースポーツに転身。これは極めて稀な例。
幼少期に見た日本GPでセナや中嶋悟に憧れた少年は、F1への夢を捨て切れなかったのだ。
モータースポーツ転身後はイギリスへ渡英。伝統あるイギリスF3で日本人初の王者となる。
そしてジョーダンチームからF1デビューし、2年間BARホンダでレギュラーを張った。
努力の天才とも言える琢磨は実に物事をポジティブに考え、また頭脳明晰。
現在まででベストレースは04年アメリカGP。
日本人ドライバーとして鈴木亜久理以来となる3位表彰台を獲得。
05年は大不振に悩んだが、翌06年は新生スーパーアグリで粘りの走りを見せた。
最終戦ブラジルでは超劣勢マシンで驚異的タイム連発。来季の琢磨が楽しみだ。
| 国籍 | 日本 |
生誕日 | 1977年1月28日 |
出走回数 | 70 |
最高シリーズランキング | 8位 |
最高順位 | 3位 |
最高予選順位 | 2位 |
ファステストラップ獲得回数 | 0 |
通算獲得点数 | 40 |
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